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NEWS : ユネスコ・イコモスの日越準備国際会議
- 本会とベトナム・フエ遺跡保存センター共催 -ユネスコ・イコモスの日越準備国際会議を開催本会とベトナム・フエ遺跡保存センター共催による第三回日越伝統木造建築交流会議が、10月25日(土)ベトナム中部のトゥアティエン=フエ省にて全日本建築士会の会員など9名と王宮などの歴史的建造物群を監理する同省のフエ遺跡保存センターの関係者20名以上の多数の関係者の参加により、成功裏に終了することができました。 第三回日越伝統木造建築交流会議にご尽力いただいたフエ遺跡保存センター長ファン・タン・ハイ氏や早稲田大学創造理工学部建築学科中川武教授をはじめ、関係団体・関係者、会員及び会議参加の皆さまに謝意を表します 第三回日越伝統木造建築交流会議フエの概要豊かな美しい自然と伝統・文化に育まれ、また有数の伝統木造建築群を有する地であり、世界遺産としても登録された地であるベトナムのフエにおいて、会議の当日、王宮内の現在も修復が続けられている午門や修復中の建物をフエ遺跡保存センターの所員の案内のもと見学を行いました。
阮(グエン)朝王宮はフォーン側の北岸にあり、十七世紀ごろから造られた城塞を、阮朝の支配となった1803年から二十数年かけ、北京の紫禁城をモデルとして大規模に増築した王宮であり、約600m四方の堀と城壁で囲まれています。四方には南の「午門」をはじめ四つの門が造られました。王宮の正門にあたる午門は、高さ約十七mの石畳状の二層式の中国風の建物で、五つの門口のうち、皇帝のみが使用する中央の門には鳳凰が描かれています。1945年、十三代バオダイ帝が、全土に向けて阮王朝の終焉を宣言したのもこの門です。ベトナム戦争でほとんどの建物が破壊されてしまいましたが、現在行政が行われていた太和殿や歴代皇帝を祀った世祖廟などが復元されている最中です。王宮全体の復元作業は今も続けられています。
フエの町は、1993年にユネスコ世界遺産の文化遺産に「フエの建造物群」として、ベトナムでは最初の世界遺産として登録されました。かつてユネスコの事務局長であったアマドゥ・マハタール・ムボウ氏はフエを「賞賛すべき建築上のポエムである」と語っています。 また、フエには現在修復作業中の延福長公主祠を始め、ガーデンハウスと呼ばれる、阮朝の時代(1802年~1945年)に貴族の館として建てられた伝統的木造家屋があり、当時1,000以上あったガーデンハウスは、1998年には331に減り、2004年には318となり、その数は今もなお減り続けていることから、トゥアティエン=フエ省は2006年から2010年の間に150のガーデンハウスを指定して保護する事業を実施しています。 シンポジウム10月25日(土)午前8時から王宮内の劇場「閲是堂」で国際会議「アジアにおける木造建築遺産の保存:日本とベトナムの実例から――フエの世界遺産のための管理計画の策定」を主題に開催しました。 ファン・タン・ハイ フエ遺跡保存センター所長の挨拶で始まり、トゥアティエン=フエ省知事のご挨拶を頂いた後、キャサリン・ミュラー・マリン ハノイ・ユネスコ事務所長よりベトナムの伝統木造建築の現状の報告がなされ、その後、日本側、ベトナム側双方より講演が行われました。
講演は次の通りです。
中村光彦 全日本建築士会専務理事、日本イコモス国内委員会委員より、「日本における伝統的建造物群保存地区」について。
ファン・タン・ハイ フエ遺跡保存センター所長より、「木造建築の保存における20年に亘る日本・ベトナム間の協力の成果、及び将来における保存の方法論的な方向」について。
ディスカッションでは、全日本建築士会、早稲田大学中川武教授の協力のもとに、東南アジア全体の伝統木造建築の情報発信・技術協力・修復に係わるセンターをフエに設立することが提案されました。 現地調査その後、建中樓跡、修復中の午門、修復中の太祖廟を現地調査し、日本側参加者とベトナム側参加者双方の間で、修復へ向けての具体的な意見が交換されました。 午門については「具体的な修復の着手の前に正確な調査をした方がよいのではないか」「後に見た際に判別するために修復時には伝統様式での修復ではなく現代技術での修復の方が良いのではないか」等の意見が日本側から出ました。
ikomosu_5は1824年に造営され、当初は明遠楼と称され、ティエウチ帝により「神景二十景」の一つ「重明遠照」と詠われましたが、1876年に老朽化のため解体されました。ズイタン帝(位1907~16)の時代に悠久楼と称し、1913年に造営されました。フランス建築との折衷様であり、現在残る建中樓跡地の三分の一ほどの規模でした。その後1921年にカイディン帝によって増改築されることとなり、1923年に建中樓として完成しました。カイディン帝は1922年にマルセイユ植民博覧会出席のためフランスに外遊しており、その際にそれまで見たことのない大きな建物を多く見て、その大きさに魅力を感じ、後に建中樓の建設に影響を与えたといいます。その経験によりフエの建築物の多くはフランス・ベトナム建築折衷の独特の様式となりました。建中樓もまた正面66mにもおよぶ煉瓦造のバロック様式の建造物として完成しました。1947年2月のフランス軍との交戦により廃墟となり、現在は基壇だけが残っています。
王宮の午門は、入宮のための門であり、ミンマン帝期創建、カイディン帝期に再建されました。高さ約17mの石畳状の二層式の中国風の建物で、門口が5つありますが、中央の門は皇帝の外出時にしか使用されませんでした。皇帝が使用する門だけに鳳凰が描かれています。2014年10月現在、午門は修復工事中のため、一般の方は門の上には登れませんが、フエ遺跡保存センター所員の案内の下、修復作業中の門の上を見学しました。
太祖廟はフエの阮朝王宮内の太和殿の東側に南向に位置しています。背後(北側)には肇祖廟が控えています。1802年に仮に建立され、その後1804年に肇祖廟とともに改めて建立されました。太祖廟は明の太祖廟の制度に倣っています。1807年には黎文豊を責任者として太祖廟が修復され、1819年にも張進宝・阮文雲・阮科明らによって修復され、その徭役にあたった兵士に銭5,000緡を賜っています。この時祭器もまた修理されています。1820年には太祖廟の神厨・神庫が修理され、1823年にも修理が実施されています。
太祖廟は歴代阮主を祀っており、歴代皇帝を祀る世祖廟とは中央軸に対して東西対称に位置しています。1889~1907年に修復が行なわれましたが、1947年にフランス軍との交戦によって破壊されました。現在太祖廟は復元されていますが、瓦屋根はトタン屋根になる等、状態はよくありません。阮朝の初代皇帝であるザーロン帝が最も重視した太祖廟は、現在では荒廃を極めています。ただし付属施設の隆徳殿は1832年建立当初の姿を留めています。 ホイアン歴史的建造物修復状況視察10月26日(日)には世界遺産にも登録された歴史的伝統木造建築の集積地であるホイアンでホイアン遺跡管理事務所の案内により修復された歴史的住宅を見学しました。
馮興家(フーンフンの家)は、約200年前に貿易商人の家として建てられた木造建築で、ベトナム、中国式に加え、屋根には日本の建築様式も取り入れられています。1階の天井には、洪水の際に2階に商品を運び上げるための窓が造られているなど、随所に生活の工夫が見られます。内部はみやげ物店も兼ねている。2階の露台からは来遠橋など、風情のある町並みが眺められます。 また、貿易陶磁博物館(海のシルクロード博物館)は、約200年前に建てられた2階建ての代表的民家がそのまま博物館になっており、ホイアンの周辺で発掘された陶磁器の数々、沈没船から引き揚げた遺物など約100点が展示されています。日本人町や御朱印船を描いた絵巻の写真などからは、ホイアンでの日本人の暮らしの一端が垣間見られます。この貿易陶磁博物館は日本からの技術的・財政的援助を受けて修復がなされました。
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